就活にいかせたPALでの4年間。PALとの出会いは今から12年前。18歳の私は「入りたい時に入り、稼ぎたい時に働けばいいや」ぐらいの気持ちで面接へ。結婚式にも特に興味はありませんでした。しかし、そこから、大学生活のほぼ全てをPALコーポレーションで過ごすことになります。
PALにはいろんな人がいます。私が出逢い、一緒に働いたメンバーは200人を超えているでしょう。価値観、立場、出身地の違う人達との空間は刺激的で、それが今の私を形成する大きな要因となり、自信へとつながっていきました。私が働いていた頃は、新しい契約先がどんどん増えていく頃で、学生でバイトという立場でありながら、夜遅くまでいろいろな計画を立て、話し合ったことを覚えています。リーダー論。チームワーク。部下の掌握術。サービス技術の向上。心のこもったおもてなし。
4年間の真剣な取り組みが、就活にそして社会で十分に活かされています。 若い我々のサービスの議論に夜遅くまで一緒に参加して下さった社長や社員の皆さん。共に働いた仲間とはよく遊び、笑い、そしてよく飲みました。以来多くの縁を今も紡いでいます。 何より、現在東京で暮らす私が、いつでも『帰る』ことの出来る場であるPALコーポレーションは、正に私の一生の宝物です。
人と接することが好き。寂しがり屋。そんなあなたの為にPALはある!

川崎遼平
鹿児島大学水産学部卒業
東京にて教員

上塘社長がよく口にされる言葉の中で,私が好きな言葉があります。それは「縁」です。
私のパルコーポレーションとの「縁」の始まりは,大学の入学式の朝でした。鹿児島で生まれ育ったため、都会に憧れ、前期日程では東京の大学を受験していた私でしたが,残念ながら合格することができず,高校の先生や両親の勧めもあり,後期日程で受験したのが,地元鹿児島の大学でした。無事に合格し,入学式の朝を迎えましたが,正直,本望ではないこの学校に 4 年間も通うのか、、、とそんな憂鬱な朝でした。入学式へ向かう途中では,サークルやアルバイトへの勧誘のチラシが山のように配られますが,こんなもの絶対に受け取らない,と妙な覚悟を決め,私は渡そうとしてくる手を避け続けました。しかし,ある 1 枚のチラシが私の手に置かれたのです。ある 1枚のチラシ,それがパルコーポレーションのチラシでした。
こんな始まりだったパルコーポレーションとの「縁」は 4 年間続き,様々なことを経験し,得ることができました。
何より,「パルコーポレーションのパルは,〈仲間〉という意味。」何時か聞いた社長の言葉どおり,最高の仲間ができました。
どんな時も頼もしく,どんな時も優しく見守ってくれる,お兄ちゃん,お姉ちゃんのような先輩。
頼りない自分の背中を追いかけ,負けていられない,と奮い立たせてくれる,弟,妹のような後輩。
悩み,苦しんでいる時,大丈夫。と背中を押してくれる,お父さん,お母さんのような社員。
競い合い,涙し合い,笑い合った,この 4 年間。4 年前の入学式のあの日,そこから始まった小さな小さな「縁」は,他の縁と重なり,きっとこれからも終わることのない,忘れることのできない,大きな大きな「パル(仲間)」となりました。
自分がこれからどんな「縁」とめぐり逢うのか,それは誰にも分かりません。
でも,入学式のあの日,私がパルコーポレーションのチラシを受け取ったように,今,あなたがこのパルコーポレーションのホームページを,このメッセージを見ているのも,きっと何かの「縁」。
この小さな「縁」の始まりから,大きな「PAL(仲間)」をみつけてみませんか?

久保園舞佳
平成31年3月鹿児島大学卒業

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